国内活動ブログ

いい○○とは

先日、不本意にもダウンした際、部屋でおとなしくしていたが、急に何もしてはいけない環境になると、今度はそれがストレスになり始めた。それならばと、テレビをつけると、芸術関係の番組がやっていたので見ていた。その中で「いい役者とは」という問いかけがあった。答えとして出たのは、「監督が言う事を、ハイと応じられる人」というものだった。
言いなりかよ...と、非常にネガティブにとらえられそうだが、実はそうではない。言い換えれば、あらゆる注文を受け、きちんと結果が出せるという事。役者という世界は知らないが、この事は、他の場面でもあてはめて考える事が出来ると思う。つまり、言いなりになるのではなく、自らの意志で自分ではない新たな人物像を創りだす事だと思う。
しかしながら、この場合、きちんと役者の力量を評価が出来るだけの監督がいる事が必須条件となる。その様な環境に恵まれない場合、監督を批判する必要はない。己に合った環境を求めるのだ。環環境を変える。内面から変えるのか、外部から変えていくのか。決めるのは、己自身。
その先に、くすぶる日々か飛躍の瞬間かのいずれかが待っている。
どちらが、望ましいか。それは、あえて書く必要はないだろう。
 

姿勢

目先の結果にとらわれ、姿勢を変えることは、自分の存在意義を否定する事になる。安易な気持ちでいると、必ず低きに流されてしまう。姿勢を崩さないという事。
それは、自分自身をよく調べ、好きになる事から始めなければならない。
今日も、大学には休みをいい事に好き放題している連中がいて、非常に不快な思いをしたが、そのようなくだらない狐狸のごとき連中の相手をするのは時間の無駄だ。しかし、妙な宗教を布教しようとしている連中とそれに乗せられている生き方の指針が無い学生達が浮かれている様子を見ていると、なんとも虚しくも悲しい気持ちになってしまった。
目先の事しか見ていない名前だけの学生連中が、無邪気に大きな声で笑い、大学の廊下を走り回り、禁止されている飲食をしていたが、そのような稚拙且つ低俗な交流現場を見て、私が関係する受け入れは、内容のあるものにしようと、改めて思った。
私は、懺悔ひとつで気持ちは切り替えられないし、同じ失敗は繰り返さなくてもよいようにしている。
この様な「不」愉快な連中のいない環境を求めるのは、まだ自分が弱い証拠なのだろうか。やるべき事はやっているが、それでもまだ足りていないのだろうか。

永訣

体調が本調子ではない状態だったが、午前中はこちらの補習授業校での授業。今日は、朝の会で教師の話をする順番だったので、以前の番で話した科学とは異なる内容を話すことにした。朝から重いなとは考えたが、テーマは「死」について話すことにした。
ここ最近、何故か死について考えるようになった。周りで事故が頻繁に起きている環境で、その現場を見ていることもあるだろうが、親しい仲間の「旅立ち」に直面してしまったことが大きな理由だと思う。今まで疲れとストレスによる心身バランスをなんとかとってきたのだが、大きな風穴が空いてしまった感じがして、上手く感情コントロールが出来ないでいた。苛立ちもあり、非常に好戦的になっていた。

灯台もと暗し

今日は、今更ながらにボランティア活動の良さを知った。世間一般に言われているボランティア活動とは、この場合少し異なるが、仕事の延長として捉えてみると、少し気持ちが楽になった。
一歩引いて見てみると見える景色も変化する。今まで身近なキーワードであっただけに、なかなか気が付かないで来たのかもしれない。

過労

不本意ながら、疲労によって昨晩倒れてしまった。兆候は既にあったのだが、これまでにもあった事だったので、特に気にかけることはしなかった。ここ最近、自分の仕事の効率が悪くなってきたこともあり、少し自分の中で焦りが出ていたのだと思う。

午前中はゆっくり休んだこともあり少し体調が良くなったので、4時前に大学の研究室へ。今日までにやってしまわなければならない仕事があったので、体調も考慮して一気にやってしまった。

 

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